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還暦祝・江藤新平卿銅像まつり

この3日間 歓送迎会、各種総会等が続き帰りが遅くなっていましたので、
ブログをアップ出来ずお許し下さい。

今日は朝の河川清掃からスタート ( 年かな 腰が少々…(^_^;) )

その後、小泉進次郎代議士を迎えての ニューリーダー育成塾。
政治はまさしく“ 信なくば たたず ” メリハリの効いた素晴らしい講演でした。

最後は、妻の兄の還暦祝。
久しぶりに お義母さん、兄妹夫婦、従兄弟、従姉妹が集まりました。

皆んな忙しくしており、なかなかこういう機会が無かったので、久しぶりにユックリと
出来たのかなと思います。 子供達も会話が弾んでいました。

最期は妻の手作りの、苺のショートケーキでシメ。美味しかったと評判は上々 (^_^)

 

前後しますが、昨日 江藤新平卿銅像まつりに参加し、江藤新平卿をもっと顕彰しなければ、
との思いを強くしました。

その中で、大阪市立大学名誉教授 毛利 敏彦先生の特別講演がありました。
その要旨を列挙します。

 

江藤新平卿の明治新政府での貢献は大きく二つあります。

1. 初代司法卿として司法制度の確立と人権の確立を成し遂げた。

司法制度の確立とは、当時まだ司法と行政が混同し、裁判は各地の行政 ( 役所 )が
行なっていたものをひとつにまとめ裁判所を作り、いわゆる近代的法制と
諸管制の創建・司法権の独立等を成し遂げた。

人権の確立とは、「 国の富強のもとは 国民の安堵にあり。
国民の安堵は 国民の位置を正すにあり。」と説き、
まさしく「 基本的人権 」を確立し「 人権の父 」と呼ばれるに相応しい働きをした。

 

2. 日本の教育の基本路線を確定させた。

当時はまだ 国学 ( 王政復古 ) 、漢学 ( 武士 ) 、洋学 ( 文明開化 ) の三派が主導権争いの最中、
時の大納言岩倉具視が、もう一人の大納言鍋島直正侯( 閑叟 )から一番の信頼を得ていた 、

中弁 ( 現在の官房長官 )だった江藤新平に相談をした。江藤は岩倉に「 文部省を作り
西洋の丸写しをするべし 」と進言した。その後、初代の文部大輔となり( 職員は江藤ひとり )

「 西洋の学問に従って 日本の教育を進める ( 立て直す ) 」として洋学者を多く抜擢し、
日本の教育制度の基礎を築いた。 文部大輔は 6ヶ月で退任し、後任は大木喬任が着いた。
大木は初代文部卿となり学制を交付した。

 

江藤新平卿の最後は悲痛を極めましたが、自分の作った法制度にのっとった裁判で
判決を受けたかったのではないでしょうか?

江藤新平卿が残した不滅の功績を、広く顕彰し永く歴史にとどめなければなりません。

 

最後に、辞世の句

「 丈夫 ( ますらお ) の涙を 袖にしぼりつつ 迷う心は ただ君がため 」

「 国思う人こそ知らめ もののふが こころづくしの 袖の涙を 」

忸怩たる思い。 本当に無念だったでしょう。

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